読了記録
白鳥とコウモリ/東野圭吾
金曜日、図書館で数十人待ちで予約していた本をようやく手にしました。
500ページ以上あるのに、返却日は明々後日。
(受取に行くのが遅くなった)
土曜日は義母と約束の予定があったけれど、金曜日の夜に久しぶりに夜更かしをして午前2時まで読む。
(眼科の先生の毎日睡眠をしっかりとってストレスをためないように!!という言葉がチラつく…)
日曜日は夫側の親戚の家にお土産を渡しに行く予定でしたが、つい先日も顔を出したばかりという事もあって、

息子君と2人で行ってくるから読書を満喫していて良いよ
と言ってもらえて、半日以上フリーに。
一気に読み進めて読了。
どっぷりと、本の世界に、東野圭吾の世界に浸かれて充足感で満ち溢れました。
読み終わった後に、「東野圭吾版 罪と罰」というキャッチコピーを目にしました。
確かに。
ドストエフスキーを読んだのは随分と前なので先にそちらを再読しておいてもよかった。
今度借りてこよう。
という訳で、残念ながら、さらっと一度しか読めなかったので、一部記憶があいまいな箇所もありますが、感想を。
まず1番に思ったのは東野圭吾さんらしい作品。
事件、捜査、推理などのミステリ要素が面白いだけでなく、人物の感情についての描写に引き込まれます。
それもどちらか一方だけでなく、立場が異なる双方に感情移入してしまいます。
登場人物を白鳥とコウモリのようだと言うシーン。
この本のタイトルでもある白鳥とコウモリ。
どちらも飛ぶ生き物で、白と黒。
被疑者と、被告人。被害者(側)と加害者(側)という対比。
だけど、白鳥とコウモリでは鳥類と哺乳類で分類が大きく異なります。
それでも一緒に飛ぼうとするという様子を思い浮かべましたが、
事件の一部しか見えていない(本質が見えていない)のにSNSやTVで強く非難し、白だ黒だと言うコメンテーターのコメントなどの揶揄なのかな?とも思ったり。
あとは、裁判の手順?などや慣例などばかり口にして、真相を置いてきぼりにする弁護士なども重なりました。
こんなことを考えながら、読み進めていって、終盤に出てくる加害者の身勝手な動機。。
そしてその法の裁きに、納得がいかない。。
そして読み終えてから考える、罪と罰。
何人か加害者が出てきますが、罪とは何なんだろう。
法に触れないように、人を騙す悪い人。
法に触れていないのだから罪にならない。が、被害者はいる。
法に触れ罪を犯した?人。
どんな事情があるにしろ、法に触れるような事をしたので、罪に問われます。
前者は罪には問われず、法に触れなければ罪ではないのか?と納得は出来ないけど理解は出来ます。
…道徳的な罪と、社会的な罪。になるのかな。
次に罰。
これは時効についても出てきたけれど、
法の裁きを受けずとも、罪を犯したと本人自ら(科して)背負う罰。は罰なのか?
に関しての答えも、その時の立場によって変わる…でしょうね。
あとは、ある登場人物には罰があたったというか天罰がくだったというか、そういう風に思った箇所もありました。これも罰でしょうか。
罪と罰については、どこかで線を引いてルール化しなければならなくて、その司法制度にそって罪と罰を決める人たちがいる。
のは解るんだけど、答えが出せるような問題じゃないからかな。
作品はとても良かったけれど、現実の制度等に対する疑問や不満が残り釈然としませんでした。
最後までご覧いただきありがとうございます!
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